my journey to self pleasure & satisfaction
English version: https://www.thestonedchrysalis.com/blog/2017/7/19/the-female-gaze-ayla-yuile
2017年6月末。24歳になる数週間前、私は今までで一番「過激」な撮影に参加した。前からインスタでフォローしていた、カッコいいフェミニストのアラサーママのエイミーが、彼女のクリスタル・セックス・トイの商品撮影と女性のセクシャリティーについて論じるフォトエッセイシリーズにモデルが必要という投稿を見て、5分経たないうちに考えもせず、直感的に手を挙げたのがきっかけだった。
私以外の3人のモデルたちはストリッパーだったり、セックス・セラピストだったり、スケーターだったり色んな生い立ちのリアルな女性たち。みんな初対面だとは思えないほどアットホームな環境で、裸で戯れ、本当にナチュラルで素敵な写真を撮ってもらい、セックスやマスターベーション、恋愛やフェミニズムについて一日中話した。
その日ほど女性に生まれてよかったと思ったことがないような気がする。
その日ほど自分の性に自信を持ったことがないような気もする。
そして私は自分のセクシャリティー、そして性的な自信にたどり着くまでのことを振り返ってみた。

自分の体にたわいない、「変」な感覚を覚えたのはまだ幼い頃のことだった。どこからか込み上がってくるその感覚。なんとも言えない、よくわからない感覚。いつどうすれば起きるのかもわからないまま、でも直感的には悪いことだとは思わなかった。
記憶がある限り、私は自分の体ができることについていつも興味を持っていた。白人と日本人のハーフの私は日本の東京郊外のサバービアではレアな生き物だった。幼い頃から「お人形さんみたいね」「あの女優さんみたいね」と人は私のルックスと、可愛い子を大切にする必要さについてよく両親にコメントしていた。
私がニ歳の時、母はある女性から「娘さん、セクシーですね」と言われた、奇妙な経験をよく覚えている。幼い時から両親は、周りのオトナに対して厳戒体制を取ることがよくあったのも覚えている。オトナの気持ち悪い、危ない目線が肌を触る感覚も幼い時からよく知っているものだった。
あの「変」な感覚を覚えた頃、たまたま夜の映画をビデオに録画した後にポルノが録画されていた。しかも見ていて特に綺麗なものではなかった上に、あの危ない目線から覚えた感覚と似たような気持ちが込み上がってきた。でも、なんでああやって体を動かしているのか、一体何が起きているのか知りたくてしようがなかった。

小学校5年生の時に保健の授業でやった性教育で一番ショックを受けたのは「おりもの」の話だった。パンツを汚す、「恥ずかしい」ことが起きることがショックで嫌だったのも覚えてる。でも振り返って思い出せば、性教育で一番肝心なセックスの話もされず、挿入や感覚については何も触れてなかったことに気づいた。確か、保健の教科書の余白にはセックスに関しての重要な情報を載せる代わりに、可愛い家族のイラストが描かれていたような気がする。
母が仕事で出ているときはセックスについてネットで調べてたりした。まだ幼く、セックスについて何も知らない、想像力が高く、感化されやすい私はアダルトサイトをさまよい、何も納得できる説明も見つからないまま、ただポルノにハマっていた。でも近いうちに母に見つかってしまい、彼女のそのショックを受けた顔色からポルノを見ることは悪く、タブーであることを初めて実感した。
少したって、大人になってからはポルノやエロチカの良さに気づき、今でも実用しているが、そう思えるようになるまでには長い道のりだった。恥や、社会からの性に関する調教や偏見という重い鎖を切り落とすという大変なタスクを目の当たりにしなければならなかった。

ティーンになりシドニーへ引っ越してからは性的にもっと解放された環境で、ようやく恥や自分に対しての気持ちの悪さや戸惑い、性=タブーという考えが少しずつ薄れていった。
そんな環境でもまだマスターベーションがしていいことだかどうかはよくわからないままだった。例えば、男子がマスターベーションについて話しても、それを耳にする人は女だろうが男であろうが苦笑をするようなトピックだったのに、女子がマスターべションをする話なんて聞いたことがなかった。逆に「気持ち悪い」「恥ずかしい」トピックだった。しかも女の子の間でさえ、そのトピックについて話されなかった。
多分それは14歳、15歳になっても女性のマスターベーションがどういうカタチのものだか誰も知らなかったからだ。そういうこともあり、やっぱりマスターベーションをもうやっている自分は変態なのかと思うこともよくあった。
その時点ではまだオルガズムは経験したことがなく、マスターベーションで感じたのは気持ちよさと痒さの合の子のような感覚だった。女性がマスターベーションをしていいことでさえよくわからなかったため、何と検索すればいいのかもわからず、人から聞いた話や女性誌で見つけた、対して信憑生がない情報源からしかセックスやオーガズムについて情報を得られなかった。
初めてオーガズムに近い感覚を「初体験」のずいぶん後に感じたのが、私の「self pleasure」への道のり始まりだった。自分の体は「感じ」ていいものだと。触る、触られるということが好きなんだと。痒さのその先に何かがあるのだと。そして、それまで私の体を触った誰よりも上手く自分をその感覚に連れて行くことができることに気づいた時には、真にパワフルに感じた。

自分の両親も何となく、娘の変化に気づいていた。父は気まずそうに私に避妊について話してくれたし、母も同じように性について話してくれた。ただ、私が処女ではないことを知った時は、両親には「もう可愛い娘ではない」と言われたのも覚えている。ヴァージンではなくなることに対してあまり抵抗がなかった私は、そのコメントに戸惑い、やっぱりセックスってしてはいけないものなのかと思うことも多々あった。
その後の数年間は恥と興味の間を彷徨った。帰国してからまたつるむようになった小学校の頃の友達と比べると私は性に関してはもっと自由で経験もあった。ある友達との会話の中で私が彼氏とセックスをしていることを聞いたその時の彼女の顔は今でも忘れられない。
そして日本に戻ってから、幼い頃に経験した、あの気持ちの悪い、危ない目線に追いかけられるようになった。そのせいで周りと自分の間に大きな溝が広がっていった。
それでもあの「感覚」から得られるエネルギーと安心感、自分自身と繋がることができることが救いとなっていた。どう周りのオトナや男性から見られようと、自分の体は自分のもので、自由に、幸せに生きてもいいのだと気づくための、勇気づけるためのツールになっていたのだ。
そうやって直感的に自分を信じて、自分の体を信じることによって、そのうちに本当に身体中で感じられるオーガズムを達することができるようになった。初めてその経験をした夜のことは今でも忘れられない。ひとり暮らしを始めて五、六ヶ月した頃、誰もいない家でゆっくりお風呂に入って、アイスクリームとワインで贅沢し、セルフケアをたくさんした夜だった。ベッドに入ると、なぜか心身両方から渇望というか、欲望が込み上げてきた。その「サイン」を直感的に従って自分を触り、辿った先にはそれまでに感じたことのない、絶頂感が身体中を包み、まるで初めて目を開けたような、力強いエネルギーが心身を覆った。

その夜からマスターベーションに対する恥や自分の体を知ることに対する恐れが少しずつ薄れていった。
今になっても社会の性に対する意見に戸惑い、恥を感じることがあることも時によってある。でも自分を信じることで、セックスやマスターべションだけではなく人生全ての面にあの力強いエネルギーや絶頂感を求めることで、そんな戸惑いもすぐ吹っ飛ばせることができるようになった。
もともと恥ずかしい、秘密の中毒的なものだったコトが、今では瞑想であり、儀式でもあり、コミュニケーションや癒しのツールである、セルフケアと自己愛の実りものになったのだ。私は英語でマスターベーションを「self pleasure」という。自分に喜びを与えるということ。マスターベーションだけではなく、自分のためにすることは全て「self pleasure」で、それは本当に心身共々にとって大切な、聖なるものだと思う。
そしてマスターべションだったり、髪を切ることだったり、パックをしたり、寝坊をしたりと、どんな形であろうと、自分は「喜び」や「報い」を受ける価値があることを確信することで、色んな意味での幸せを手に入れられると私は信じている。

Guest Writer: Ayla / Instagram
Born in Japan, raised in Kanagawa, Bali and Sydney.
Ayla’s journey began at 18 when she moved to Sydney to pursue a life of authenticity and intuitive living. At 21, she began her fluid lifestyle journey as a freelance content creator & creative project manager.
Ayla is committed to sharing tools and messages of the importance of self love, self care and self mastery especially towards young Japanese women.
日本生まれ、神奈川県・バリ島・シドニー育ち。
「ありのままの自分」で生きることを追求し、18歳でひとりシドニーへ。21歳でフリーのコンテンツ・クリエイター兼クリエイティブプロジェクト・マネジャーになる。これからは「ありのままの自分」で生きれるライフスタイルデザイン、「自分を愛し、大切にする」ことの重要さ、そしてそれらに必要なツールを日本の若い女性たちに発信して行くことを夢にもち、シドニー、そして時々東京で活動中。
Photography by @gophuttfilms
Location: The Shadow Lodge by @loveariel777
Project by @ripsnorter
Models: @fiona_louise @alphamama @axhaz
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